「なあ、昔みたいに高島屋で『鬼ごっこ』やらないか?負けたらおごりで。」
僕は、意識せずに口に出していた。
少しずつ大人になっていく。
子供の頃、大人になったらあんな風になりたい、こんな風になことをしたいと、漠然と思っていた。
ただ楽しいことだけを追求して、過ごしていた小学生の頃。
周りの目なんか気にせずにいれたのは、いったいいつまでだったんだろう。
僕は前にこんなことを考えていた。
実家で、懐かしい子供の頃の写真を見たからだと思う。
何をするにも本気。
適当に流すことなんてなかった。
初めてのことにも一生懸命。
失敗することなんて考えもしないで、やっていた。
それがいつからか、なくなっていった。
少しずつ成長し、大人になっていくにつれて、何かと言い訳をしてやらなくなっていった。
本気が消えていた。
「いつまでも子供のココロを持っていたい」なんてことを、口では言っていた。
でも、確実に子供の頃とは違った自分がいた。
それが悲しいとも思わない。
何も思わない日々。
ふざける事も減っていった。
ふざけたことをしても、本気ではない。
昔は遊びもふざけるのも、本気で楽しんでやっていた。
それがなくなっていった。
大人になるって、そんな感じだと思っていた。
消えたもの。
学生の頃からの友人と、飲みに行っても話す内容が変わっていた。
20代前半、彼女や車、遊びや頑張っていることの話が多かった。
20代後半、結婚や家族、仕事の話が多くなった。
30代前半、結婚や子供、仕事の愚痴話が多かった。
30代後半、仕事の話ばかり。
僕らの中から、遊びの話が消えていってた。
遊びに行っていないわけではない。
家族と誰もが遊んでいる。
僕らの中から、共通の遊びが飲むことだけになってしまっているだけ。
なんだか寂しいことだ。
いつの間にか、僕らの中から子供のココロがなくなってしまっていた。
そんな話が飲んでる時にでた。
いつもの変わらないメンバー。
中には小学校の頃からの友人もいる。
僕らは、どうやら無意味に大人になり過ぎていたらしい。
いつからか失敗を恐れ、やることすらなくなった事も多くあった。
失敗した経験があるからこそ、それがイヤで逃げていた。
本気でやれば楽しいことも、周りの目を気にしてやらなくなった。
やらないことが、どれだけもったいないことかに、気付かないふりしていた。
変わらない遊び。
「なあ、昔みたいに高島屋で『鬼ごっこ』やらないか?負けたらおごりで。」
20代前半の頃、学校帰りに何かのテレビ番組を真似てやっていた遊び。
僕らは、久しぶりにやった。
たぶん20年ぐらいぶりに。
飲むのを早々に切り上げてやった。
横浜駅隣にある高島屋。
閉店までの1時間、「絶対に走ってはいけない鬼ごっこ」
3対3に分かれてのチーム戦。
走っても、早歩きもしてはいけない。
5mぐらいに近づかれたら、負け。
鬼は一人3回まで電話することを許されている。
昔と変わらない、鬼が圧倒的に不利な鬼ごっこ。
鬼をやって、見事に負けた。
でも、楽しかった。久しぶりに本気で遊んだ。
負けたけど、これほど楽しんだのは久しぶりだった。
「楽しかった」と、みんなが口を揃えて言っていた。久しぶりに仕事の話が一切出なかった。
どうやら僕らの中から「子供のココロ」がなくなっていたわけではなかったみたいだ。
変に周りを意識し、「いい大人が子供みたいなことするな」って言葉に縛られていた、ただそれだけだった。
縛り、奥底に眠らせていたものを起こしたら、いつもと同じものが違って見える。
頭の中というか、ココロがすっきり軽くなったような気がしてならない。
「簡単なことだったんだな」
友人の一人が言った。
「毎日、仕事ばかりでつまらなかったよ。退屈で仕方なかった。でも、なんかスッキリしたよ」
「そうだな。久しぶりにやってよかった。楽しかった」
もう一人が言った。
「でも、次やるなら飲む前にしよう。少し気持ちわりーよ」
その言葉で、みんな笑っていた。
おわりに。
大人になることは、誰にも止められない。
社会に出れば、やりたくないこともやらなければいけない時もある。
そして、ココロが疲れ、縛られ、大切なことを眠らせてしまう。
仕事は本気、遊びはテキトー。
ほんの数年前の僕ら。
仕事も遊びも本気でなければいけない。
どちらかだけの人間に魅力があるのか?
ない。中途半端でしかない。
魅力的な大人は、本気で遊んで楽しんでいる人が多い、ONとOFFを大切にしている人。
そんなカッコいい大人から、僕らはいつの間にか離れていっていた。
くだらない事を考え、意識し過ぎてた。
何かを犠牲にし過ぎてたいたんだと思う。
それが当たり前だと思いながら過ごしていた。
僕らだけでの特異事象ではなく、そんな人は多い。
あなたは、どうですか?