こんにちは、横浜メガネ(@yokohamamegane)です。
僕たち大人は年齢を重ねるにつれて、少しずつ自分自身で「楽しい」って気持ちを削っているのかもしれない。
子供の頃と違って、制限を自分で取り払うことができるから、その限られたものを取り払うことで楽しさを失っていると思う。
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100円握りしめて楽しかった頃。
子供の頃、親からもらった100円玉を握りしめて、好きなお菓子を買いに行ったなんて経験は、誰にでもあると思う。
遠足のときに「お菓子は300円まで」なんてルールも、「少ない」などと文句を言いながらも、楽しんだ経験があると思う。
クリスマスシーズンになれば、ツリーにオーナメントを飾りながらプレゼントを願い、サンタへ手紙を書いたりしてワクワクした方もいると思う。
突き抜けるほどの無邪気さがあるから、心の底から楽しめ、ワクワクが止まらなかったんだと思ってしまう。
じゃあ、僕ら大人はどうだろう。
大人になれば、100円握りしめてお菓子を買うことなんて、たいしておもしろいことでもない。
買えるものが限られているのを知っているから。
それに、大人になった僕には、今そんな経験をすることがなくなった。
あの頃と違って、財布を持ち歩き、中には100円以上のお金が入っている。
遠足の時の「お菓子は300円まで」なんてルールもない。
旅行に行くときに、300円以内でお菓子なんて買わない。
食べたいものを買えばいい。
クリスマスにサンタクロースからプレゼントが届くように、手紙を書くこともプレゼントを願うこともしない。
トナカイが引っぱるそりに乗ってくるサンタクロースがいないのを知っているから。
大人よりも制限されていることが多いはずなのに…。
でも、子供からすれば100円や300円は大きなことで、そのお金で何が買えるかを必死に考える。
お店中のお菓子を見て、真剣に悩んで、決めて、買っている。
悩んで買ったあとの表情が、本当にしあわせそう。
サンタクロースにプレゼントを願っているときも、真剣に考え願い、それが届いたとき凄くしあわせな表情をしている。
大人にはできない表情。
子供の頃より自由なはずなのに、不自由な大人。
自分でお金を稼ぎ、何かをするにも基本的には制限されない。
子供の頃より、自由なはず。
でも、大人になるとそんなワクワクはなくなる。
無限のように感じていた世界も、自分自身の想いで有限な世界になり、ワクワクしていたことも、知ることが増えたことで失い、多彩だった季節も、忙しさに忙殺され色あせてしまっていく。
僕らは、いつのまにかたくさんのことに自分自身で制限をかけ、気付かないうちに大切なものを、どこかに落としてきてしまったのかもしれない。
そんな大人を見て育つ子供たちが、将来に希望を持ち、夢を見ることなんて難しい。
僕ら大人に必要なことは、小さなことでも楽しむことなのかも。
今僕たち大人がしなくてはいけないのは、自分たち自身の人生を楽しむことだと思う。
小さなことでも、ワクワクし楽しむ。
子供の頃のような感性を取り戻すことが必要なのかと思ってしまう。
もちろん、まったく同じになんてできるわけがない。
無邪気に楽しいことだけを考える生活はできない。
自分自身だけでなく、家族のことも考えなくてはいけない。
ピュアな気持ちだけでやれないことも必ずでてくる。
でも、そんな中でも気をつければ、大きなことだけでなく、小さなことにも目を向けられるはず。
日々の生活に、大きなことなんてほとんどない。
だからこそ、小さなことでも楽しむことが必要になってくる。
ワクワクし、ドキドキし、知らないことだらけで新しいことに出会って楽しんでいたあの頃。
それは無邪気な子供だったからではなく、いつのまにか自分の心に制限をかけ、知った気になって不自由にし、「楽しい」って気持ちを削っていただけなのかもしれない。
だから自由に暮らし楽しそうにしている人を、羨ましく思い、その思いに「できない」理由を並べ制限をかけてしまう。
本当は、できるはず。
やらない理由を探し、見つけては動かない理由を並べているだけ。
それを並べて眺めて、全部できないことにしてしまう。
全部は厳しくても、一つはできるかもしれないのに。
本当はできるのに、やらない理由探しはおしまい。
やれる方法を探してやれないのと、最初から諦める方法を探すのとでは、雲泥の差がある。
それをやめるだけで、今よりも楽しく過ごせるはず。
今の僕ら大人に必要なのは、自分自身でかけた制限を取り払うこと。
全てが厳しくても一部分だけでもそれができれば、今よりももっと楽しいことが待っていると思う。
そして、それを見た子供たちは大人って楽しんでいると思うかもしれない。
100円握りしめてお店へ走って行ったあの頃のワクワクは、大人になってもあるはず。
今からでも遅くはない。