こんにちは、横浜メガネ(@yokohamamegane)です。
自分の耳たぶって気にしたことありますか?
もしくは他人のでもいいです。
自分は気にしたことないんですよね。
人によっては気にしている人もいると思いますが、特に年配の方で多いような気がしますね。
耳たぶっていうと有名なのが福耳。
先ほど話した年配の方ってのが、この福耳を話してくることが多いかなと。
あまり褒められた感ないよね。
自分は福耳ではありませんが、同僚に福耳と思われる人がいます。
大抵、支店長が変わったりそれよりも上の偉い人が来たり、取引先の年配の人に言われるようです。
『立派な福耳ですねー、福が訪れるって言いますからね』って。
今日も取引先の年配の女性に言われたそうです。
褒められてるんだと思いますがイマイチですよね。
もし、自分が言われても嬉しくないです。
福耳とは?
Wikipediaにはこんな風に書かれてます。
福耳(ふくみみ、plump ears)は、耳たぶが大きく肉の厚い耳のことであり、金運に恵まれ福運があると言われる。 福耳で最も良いと言われている形は、耳たぶが真下に垂れ下がらずその上に米粒が乗るぐらい口の方に向かっている相。 また釈尊の三十二相八十種好のひとつ。
さっぱり分からん。
でも、自分の父が福耳だったことを思い出しました。
笑いのネタ。
父はよく福耳と言われていて、本人も自覚していました。
福耳と言われると必ずと言っていいほど
『そうだろ。でも福が全然来ない』
って笑いながら話してました。
福耳と言われた時の父なりのコミュニケーションツールだったのかなと思っています。
実際にお金持ちでもなかったので、会話の中の笑いのネタとして使っていたんだと思います。
福耳の父が他界。
以前、自分の生い立ちというか、今普通に家族と暮らせているのは両親の頑張りがあったからという記事を書いたことがあります。
色々とあって山あり谷ありの生活の中で、両親は難しい経済状況で凄く頑張ったんだなと思っています。
そんな頑張ってくれていた福耳の父が数年前に他界したんですよね。
『福が来ない』と言っていた父でしたが、たぶんしあわせな人生だったと思っています。
本当のところは本人にしか分かりませんが…。
人との繋がりが大事じゃないのかな。
最近よく思うことがあります。
『お金があればしあわせになれるって違うな〜』って。
お金を稼ぐにも一人では稼げないわけで、お客さんがいないといけないです。
それだけでなく、一緒にやる仲間も必要ですし何をするにもやっぱり『人』が大切になってくると思っているんですよね。
人との繋がりがあって初めてしあわせになるスタートができるんじゃないかと思っています。
特に自分は人と関わることが好きだから、余計にそんな風に考えてしまいますね
孤独が好きって人いますが、完全に一人になるなんて無理だと思います。
何かしら人との繋がりがあって生きているわけですしね。
出てきたのはあの言葉。
福耳の父の話に戻りますが、父の周りにも人がよく集まってきました。
そんな父が病気になった時、たくさんの人が来てくれたんですよね。
亡くなったときも遠方から来てくれた人もいました。
葬儀の前日に母と親戚の人が父の耳たぶを見ながら話していた中で出てきたのはあの言葉。
『福が来なかったね』
違うと思ったから話したよ。
でも、自分は違うと思った。
確かに物質的な福は人より無かったかもしれない。
でも、精神的な部分での福は人並み以上にあったと思う。
入院していた時も、多くの人がお見舞いに来てくれて嬉しそうに笑っていた。
自宅に帰ってきて、最後の新年となってしまった時も家族や兄弟、孫に親戚と大勢の人に囲まれて楽しそうに笑っていた。
最後を迎えた時も、同じように大勢の人たちに看取られていた。
20人ぐらいの人に看取られて最後を迎えるなんてあまりないと思う。
福が最後に訪れたと思っています。
まとめ。
福耳だからといって、必ず幸福が訪れるわけではないと思います。
それを持っている人が、人との繋がりを大切にして、いかに楽しく過ごしてきたかだと思います。
お金があれば確かに楽しいし幸福をより多く感じることができます。
でも、父が他界した時に強く思ったのはそれだけじゃないってこと。
あれだけ大勢の人に最後を看取ってもらえることってなかなかないと思う。
どんなにお金を持っていても、一人寂しく最後を迎える人はいるはず。
個人によりけりだから一概にそれが良しとは言えないけど、自分は一人寂しくはイヤだな。
人それぞれでしょうけどね。
でも確かに言えることは、父にとって福耳のご利益はあったのかなと、今では思っています。
では、また〜。
今回も最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
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