こんにちは、横浜メガネ(@yokohamamegane)です。
先週の土曜日に、子供の卒園式に出席してきました。
早いもので4月から小学校1年生です。
以前の記事でも書きましたが「産まれたのが昨日のよう」とはよく言ったもので、そんな感じですね。
上の子が卒園した時も、同じことを思ったんですけど不思議なもので、忘れてしまっていた気持ちでした。
今、ちょっと色んな事を思い出していますね。
アルバムを見ながら思うこと
きみは3歳6か月で保育園に入園しました。
どこのお父さんもお母さんも同じように思うことで、パパもママ不安だったよ。
親の勝手で保育園に預けることを決めておきながら「不安」なんて勝手なことを思っていたけど、不安だったんだ。
同年代の子供と遊ぶことなんてほとんどなかったから、仲良くやっていけるかが不安だったんだ。
公園に行ったときに、たまたま同い年ぐらいの子と遊んだ経験しかなかったきみが、同い年の子たちと馴染めるかが気になって仕方なかったよ。
でも、そんな不安は全く必要なかったね。
初日の慣らし保育。
たった数時間の間だけど、すぐに友達ができていて安心したことを覚えているよ。
周りの子供たちが、きみに興味を持って接してくれたのも大きかったよね。
そして、保育園の先生もやさしく慣れていなくて緊張しているきみをフォローしてくれた。
すぐにクラス全員と友達になれて、パパとママは安心したんだよ。
幼稚園と違って、一日の大半の時間を親と離れて過ごすことは、小さな君にとっては寂しくて悲しいときもあったはず。
送っていった時に別れるのが悲しくて、泣いて離れなかったこともあった。
凄く寂しい思いをさせてしまって、申し訳ないと思ってしまうことも多くあった。
この思いはパパよりも送り迎えのほとんどをやってきたママが多くあったかな。
でも、朝は泣いていても迎えに行くと満面の笑みで走ってきてくれるのがうれしかったよ。
寂しい思いをした分だけ、より笑顔と走ってきたときの力が強かったと思う。
そんな時は、会えたうれしさもあったけど、やっぱり申し訳ない気持ちになってしまうんだよね。
そんな泣く日も段々となくなってきて、迎えに行ったときも友達と遊んでいると、そっちを優先してなかなか帰る支度をしてくれなくて困ったときもあったよ。
先生に何度急かされても、遊ぶのをやめなくて長い時間待ったこともあった。
だけど、友達と一生懸命ブロックを作ったりパズルをしているところを眺めるのは好きだったよ。
少しずつだけど、色んな事ができるようになっていくのを見るのは好きだった。
ブロックではしご車や色々なものを作ったりして、完成させたものを嬉しそうに見せてくれることがとっても好きだった。
保育園のイベントでどこかに出かけたりすると、嬉しそうに話してくれることが好きだった。
お芋ほり遠足で採った大きなサツマイモを嬉しそうに毎年見せてくれるのが好きだった。。
少しずつ、本当に少しずつだけど、できることが増えていくきみを見ているのが好きだったよ。
成長を感じるのは嬉しい反面、寂しさもある
だけど、少しずつできることが増えるって寂しくもあった。
できなかったボタンができるようになった。
できなかったチャックができるようになった。
はみがき、くつ、トイレ、はし、他にもたくさん一人でできるようになった。
できることが増えていくとパパやママは成長したと思いながらも寂しさを感じてしまったよ。
嬉しいことなんだけど、寂しいんだよね。
今、保育園の先生が手作りで作ってくれたアルバムを見ている。
懐かしい写真ばかりだ。
一つ一つ手作りで作られた卒園アルバム。
こんなに手の込んだアルバムを見たことがない。
その愛情たっぷりのアルバムを見ながら、なかなか知ることができなかった保育園での何気ない表情が見れている。
きみを保育園に預けるときは、早すぎると思って反対だったんだ。
でも、今はよかったと思っているよ。
家にいたら体験できなかったことが、たくさんできたと思う。
嬉しそうに話してくれていたから、楽しかった思い出がたくさんできたと思っているよ。
でも、寂しい思いをさせてしまったことは、ごめんね。
小学生になったら、今度はパパとママが寂しい思いをすることが増えてくるね。
できることが今以上に増えて、たくさんの友達ができて、今以上に行動範囲が広がって、もっともっと世界が広がっていくんだよね。
知っている、分かっているんだ。
一番上の子がそうだったから。
成長することは嬉しいことだけど、やっぱり寂しさも感じる。
きみが楽しく幸せを感じるなら仕方ないことだけど、やっぱり寂しいよ。