僕の趣味の一つに写真を撮ることがあります。
そして、僕には同じように写真を撮ることが好きだった父がいました。
僕が使っているカメラは、Olympus PEN Mini E-PM2。
父が使っていたカメラは、Canon EOS 60D。
両機とも、今から数年前に発売されたものです。
僕は父が使っていたカメラを譲り受けましたが、今まで数年間使わずに保管していました。
撮っていた写真に興味が持てなかった
父がいましたと書きましたが、父は数年前に他界しました。
まだ60台前半という若さで、肺がんが原因で亡くなっています。
肺がんは手術して5年経って何もなければ、再発の恐れが少ないと言われていますが、父はその5年目に再発してしまいました。
再発が判明するまでの間、少しずつ仕事に復帰し、現場監督として全国各地を飛び回っていました。
その時に、必ず持って行っていたのが、EOS60D。
仕事を病休中に何を思ったか、いきなり購入してきたカメラ。
休職中は特に外に出ることも少なく、撮ることもほとんどなかったと思う。
仕事復帰してからは持ち歩いてはいたけど、いったいどれだけ撮っていたのかが分からなかった。
父が撮っていたものに、さほど興味がなかった。
と言うのも、父がやっていた仕事は上下水道施設の現場監督。
新しく施設を作る際や、メンテナンスなどで数か月行ったきりになることがほとんど。
仕事の写真、そして現地の仕事仲間と行った好きな寺社仏閣巡り。
そんな写真しか撮っていないと聞いていたから、興味が持てなかった。
京都やその他の有名なところなら興味も湧きますが、知りもしない神社などの写真に興味が持てなかったです。
サクラの咲く頃
その興味のなかったものに、ふと興味が湧いた。
カメラは父が亡くなってから、母から譲り受けていました。
兄弟の中で、写真を趣味としているのが僕しかいなかったのが理由。
でも、使うことがなかったです。
普段使っている軽いものがよかったのと、もう一つは、なぜか気軽に使っていいものとは思えなかったです。
形見になるから、綺麗に保管しておくほうがいいと思ったんですよね。
カメラ内に保存されている写真も、亡くなったときに1度だけ親戚と一緒に見たきりで、どんなものが写っているのかも忘れていた。
その保存されているものに、興味が湧いた。
たぶん、季節と言うか時期的なものが原因なんだと思う。
父が亡くなったのは3月初め。
まだまだ、サクラが咲く時期には早かった。
「桜を最期に見たい」と言っていた父。
その願いは叶いませんでした。
家族としては、見せてあげたかった、父の最後の願いだったから。
最期はほぼ寝たきりの状態だったから、見に行くこともできなかったと思う。
だけど、咲いていれば父のカメラで桜を撮って、それだけでも見せてあげたかった。
今思えば、早く咲く河津桜でも撮りに行くか、花屋で売っている桜の花でも買って見せてあげればよかったと後悔し、桜の咲いている今になると、必ずこのことを思い出してしまいます。
久しぶりに見た写真
父のカメラを久しぶりに引っ張りだしてみた。
充電をし、何が写っているのか忘れている写真を見た。
保存されている写真を見て、思い出しました。
岩手県の平泉町にある中尊寺の写真が収められていることに。
当時、仙台に仕事で行っていた父。
休みの日に、同僚と一緒に行った際に撮った写真。
日付を確認すると2012年に撮影されたもの。
ちょうど、震災後の南蒲生浄化センターにて、復旧作業をしていたころのものだった。
僕は恥ずかしながら、父がやっていた仕事の内容を詳しくは知らない。
冒頭あたりで話したぐらいのことしか知らない。
だから、その南蒲生がどこにあるのかも知らなかった。
調べてみて驚いた。
震災当日も仙台にある事務所に詰めていたことは知っていた。
でも、あんなにも海岸に近いところで、津波の被害を受けていたとは知らなかった。
震災後も作業にあたり、同施設の復旧に携わっていた。
自分が管理監督する現場が終わり、生前にどこかのお偉いさんからもらった賞状が実家に今も飾られている。
ただ、父は復旧作業が終わった同施設を見ることができなかったです。
カメラに保存されている写真には、震災当日のものは一切なく、中尊寺のものばかりだった。
たぶん、そのほかの写真は父が使っていたパソコンに保存されているはず。
それも見てみたいと思いました。
父がファインダー越しから、いったい何を見てきたのかを知りたくなった。
おわりに
引っ張り出してカメラに保存されている写真は、何ともないものばかり。
でも、写真っていいなと改めて思いました。
忘れていたことを思い出させてくれたり、知らなかったことを教えてくれる。
僕は、その両方を今回知ることができた。
死んでしまったら、故人がいったいどこで何を見てきたかなんて分からない。
でも、写真がそれを教えてくれる。
今までは、そんな風に思って写真を見ることはなかった。
写っているものを、「きれい」や「凄い」「行ってみたい」など、ただそう思うだけでした。
撮っている人が見ている景色とは、思わなかったんですよね。
その人が見た景色、そしてそれを見て何かを感じながらファインダーをのぞき、シャッターを切る。
それが写真なんですよね。
綺麗などの感想だけではなく、その人の足跡を追いかけることもできる。
やっぱり、写真って素晴らしいものだと思いました。
僕は今後、自分のPEN MiniとEOS 60Dの両方をメインとして写真を撮っていこうと思っています。
2台持っていくのは、とても重いです。
でも、父の使っていたカメラを眠らせておくだけでなく使っていきます。
眠らせていたら、意味のないものでしかないですからね。
使って初めて意味のあるものになる、カメラってそういうものですからね。
手始めに、父が見たがっていたサクラを、父が使っていたカメラで撮影しました。
上の写真が、それになります。
これを読んでいる方で、保管しているカメラがあったら使ってみてはどうでしょう?
そして、中に保存してある写真を見てみると、面白い発見があるかもしれませんよ。
あなたの知らない世界、もしくはあなた自身が忘れている世界が、そこにあるかもしれませんね。
では、また~。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
この記事が少しでも参考になったらうれしいです。
BT〇